footera1953’s diary

本、旅テーマは色々ある。まだ、方向性は固まっていない。

日本は儒教の国?

 先日、お付き合いのあるバンカーの方と世間話をしていた時、「日本は儒教の国ですよね?」と言うので、ちょっと違うよと言って、その方に送ったメールをここに転記することにした。

 儒教は思想・道徳を体系化したものです。道徳も宗教の一部ですが、キリスト教系の人は儒教は哲学じゃないのと言っています。

 さて、日本では儒教の教義として、五常「仁、義、礼、智、信」、五倫「父子の親、夫婦の別、長幼の序、朋友の親」がよく知られています。長幼の序(目上の者を敬う・・・年功序列)は日本人に特になじみがあるところです。ではなぜ日本は儒教の国ではないのか。それは、儒教はこういった教義をベースにした社会構造を伴っていてこその思想だからです。

 儒教は上記の教義をもとに二段重ねの社会構造を作りました。下の構造は家族、親族の社会。ここでは「長幼の序」が基本原理で、年長者絶対、父親絶対、祖先絶対の社会です。今の中国、韓国もほぼそのままです。

 しかし国家レベルではこれだと困るので、実力で戦争を勝ち抜いたものが君主となる。君主(世襲となる)はこれで決まりますが、政治をつかさどる官僚機構をどうするかです。長い試行錯誤の結果、血族ではどうしても人材に欠けるということから、実力一本で行くということになり科挙と言う試験制度が生まれました。この科挙の試験では、儒教の経典(テキスト)に何が書いてあるかを問う試験です。こういった社会構造を含めて社会学的には儒教ととらえます。(橋爪大三郎;「政治の教室」より)

 江戸幕府儒教を取り入れようとしましたが、官僚は武士が代々世襲制で務めており科挙のような試験制度は不都合なので、五常、五倫の精神だけが広まったわけです。この精神も元々日本にあったものだと考えていいものですね。

 ところで、上記の下の層の家族親族(宗族=父系同族集団)は、日本人が思っているような祖父、祖母、叔父、叔母程度の話ではありません。ざっくりいうと金さん一族、李さん一族といったレベルで同じ苗字の人が宗族といった感じのものです。ちなみに人口5200万人の韓国の名字の種類は250、14億人の結構多民族な中国で24,000、ほぼ単一民族で人口1.2億人の日本はなんと150,000もあります。日本がいかに儒教国家ではないか理解できるのではないでしょうか。韓国の歴代大統領が退任後、彼らを含めた親族の腐敗で逮捕されることもなどは親族のつながりの強さを表しています。

 また、科挙の制度は両国ではいまだに大学受験として引き継がれており、テレビでそのすさまじさが時々紹介されますが、これはこの制度の精神が残っているからだと考えられます。