footera1953’s diary

本、旅テーマは色々ある。まだ、方向性は固まっていない。

東海道53次の旅 3rd season 二川~吉田(豊橋)~赤坂~藤川

こちらは3日目、4日目の行程。合計で30㎞程度歩いている。少し距離が少ないが理由は以下の通り。

 前日は白須賀宿まで歩き、そこから公共の交通機関を使ってホテルに入り、翌日白須賀宿からスタートのつもりでいた。ところが、白須賀宿付近は地域のコミュニティバスが3便/日走っているだけで、その上訪問した日曜日は運行していない。仕方がないのでほぼ国道一号線沿いの約7㎞先の二川宿まで歩いた訳である。ここでの頑張りが後の行程に響いた。

 吉田城跡は公園になっており、その中に豊橋美術博物館がある。ここで所有する浮世絵の一部が北海道近代美術館で展示されている。そんな関係でこの美術館を訪ねたら、昨年から来年3月一杯改修工事という事で休館していた。北海道で展示されていた理由がわかった次第である。

 さて昨日の行程で白須賀宿を通った。京都側から江戸に下る時には、この宿から一挙に太平洋(遠州灘)に下って行くことになるわけだが、下るあたりから見える海は、京都側から来ると初めての太平洋ということになる。この様子を歌川広重も絵にしている。(写真参照)

今日から下る旅人が初めて見る太平洋(遠州灘)。
当時は太平洋とは言ってなかったよね無論。

二川宿入り口にて。行列する人手が足りないんだろうなと勝手に心配する。

 

藤川宿入口。広重の舞台が再現されている。

 

東海道53次の旅 3rd season start 袋井~浜松 浜松~二川

ついに、東海道53次の旅サードシーズンがスタートした。多大なるエネルギーを投下しているが、星マークは圧倒的に少ない。

初日(10月21日)は東海道ど真ん中の袋井~浜松(22.2㎞)、二日目は浜松~二川(28.9㎞)二日目は浜松駅の一つ西側高塚駅からスタートしているので実態は22㎞。

 通過する宿場町が大都会(今回の場合は浜松市)だと全く宿場町の痕跡と情緒がないのがちょっと寂しい。途中の街道に当時の面影がないと歩き続けるのがつらい。今回の場合は、白須賀宿から二川宿にかけての後半は、ガイドブックにも「国道1号線をひたすら歩き続ける」と書いてある通りで、中央分離帯のある片道2車線の国道1号(バイパス)をひたすら歩くしかない。周りは田園風景と工場ばかりで本当につらい。あとは写真で。

ど真ん中小学校には、東と西があった。どっちがど真ん中。

天竜川は当然渡し船で渡った。海が近いので川幅がほんとに広い。

舞阪宿付近に残る東海道最長の松並木。3~4m間隔の松並木。今も残っているのはすごい。新井宿から白須賀に向かう途中に残る松並木もいい。

 

ボランティアはじめました。Ⅳ(日本画の解説を読んでください)

 これまで、西洋画6作品、日本画8作品の解説シナリオを作り、それを暗記して発表してきた。

 本日の報告は、シナリオ作成をしながら日本画の画材として、屏風やふすまが使われるのはなぜかな?と思ってそのあたりの解説を考えた。以下そのシナリオの抜粋である。

日本画の形式として、掛幅、屏風、ふすまを素材としていることに特徴があります。このことについて少し説明します。

日本家屋は木材の柱を四方に立て荷重を支える構造を取っていたため、開口部を大きくとることが出来ました。広い開口部には引き戸式の障子をはめて明かりを取り込みます。また、部屋の間仕切りはふすまを使うため壁が少ない構造になります。一方で西洋の家屋は、レンガ積みや石積みの壁構造(壁で荷重を支える)であったため、構造上弱点となる窓などの開口部を大きく取れずに壁が多い構造でした。こういう家の構造も日本画独特の形式が生まれた要因になっています。」

 

 指導官からは、面白い話だけど見学者は作品の解説をしてもらいたいので、これはあなたのポケットに入れておいてくださいという評価であった。

 

 ちなみに著名な現役日本画家、千住博さんは、氏の著書(芸術とは何か)の中で「岩絵の具を使って和紙に書いてあればそれは日本画です」と言っています。

(岩絵の具;動物のコラーゲンから作った膠(にかわ)を接着剤として顔料に混ぜたもの。油絵の具は、植物性の油を接着剤として使います)

 こちら(つい『こちら』を使ってしまう)のうんちくもシナリオに入れたが、同様にポケットに入ることになった。

北海道遺産

 2023年9月22日、23日と日本で一番早く紅葉が始まる大雪山系黒岳(1984m)へ行ってきた。ただし、ロープウェイとリフトで7合目まで。全国ニュースでも紅葉が始まるとニュースになったり、初冠雪でもニュースになりがちな山である。ここ北海道も夏が過ぎてもいつまでも気温が下がらないので、紅葉が例年に比べるとかなり遅れているが、7合目付近は多少色づいていた。一番の観光シーズンなので100人乗りのロープウェイに1台待って乗った。

 観光だけではなく、人気の登山コース(リフトを下りて頂上まで90分くらいなので初心者でも十分行ける)なので、登山客もかなり乗っている。札幌から登山のツアーできている人達も多い。私自身は黒岳の近くにある旭岳、赤岳に若いころ登っているが、中々の眺望である。
 本日の報告は、こちらではなく北海道遺産(*)の旧国鉄士幌線タウシュベツ川橋梁と、その道すがら出会ったなかなかお目にかかれない道路の風景である。
*北海道遺産;下記URL参照

https://www.hokkaidoisan.org/about.html

 

1.タウシュベツ川橋梁

 士幌線は1987年に全線廃止になった鉄道であるが、このタウシュベツ川橋梁(鉄道橋)は、1956年に完成した糠平(ぬかびら)ダムにより湖底に沈んでしまった橋。鉄道はダム湖を避けて作り直している。
 この橋は夏の間は冠水して見ることが出来ず、1月から6月にかけて姿を現わすため、幻の橋梁と言われているが、今年は雨が少なかったためこの季節(9月22日)でもその全容を見ることが出来た。
 ここには、これ以外にも士幌線のアーチ橋跡などいくつかの鉄道遺産が遺されており、マニアには人気のスポットとなっている。
(代名詞、指示代名詞が多くて読みづらいかもしれない)

国鉄士幌線タウシュベツ川橋梁。無論メンテナンスはしないので、ただ朽ちていくだけ。現在と違って、現場で生コンクリートを練って施工していた。
2.白樺と真っすぐな道
 こちらは特に観光名所ではないが、黒岳(層雲峡温泉から、タウシュベツ橋梁に向かう道路(国道273号)で出会った景色。両サイドに白樺の林が続く真っすぐな道が気持ちよい。この道が美しく感じるのは電柱がないからである。人家がないので電気を供給する必要がない。ちなみに携帯も上記橋梁付近を含め圏外であった。 
 
 しかし、現在携帯に電波が届かないような場所に鉄道が通っていたことに驚かされる。ちなみに、この士幌線は沿線で伐採した木材を運ぶために敷設されたが、輸入木材に市場を奪われ産業として立ち行かなくなったため、鉄道の使命も終わったという歴史がある。

電柱もない、携帯つながらない、車も来ない国道273号線。
三国峠から糠平湖に向かう途中
 

ボランティアはじめました。Ⅲ

 前回に引き続き、美術館のボランティア研修報告である。ボランティア活動は近代美術館の協力会(一般社団法人)がやっており、研修終了後は協力会の会員になる。
 私が所属した解説員は、美術館が所有する美術品を使用して定期的に開催する企画展(たとえば「北海道の日本画の歴史」みたいな)で、展示する美術品の解説を行う。担当の曜日が決められ、希望する来館者に30分程度の解説を行うことになる。
 以下はその解説員になるための研修事情である。
1.研修回数
 研修期間6か月、共通研修(解説部以外にも6部門ある)5回、解説部専門研修26回(半年間ほぼ毎週ある)。一コマ2時間。80%以上の出席必須
2.研修内容
①毎回2~4作品の解説の課題を与えられ、シナリオを作成して次回発表する。1回目の発表はシナリオを読みながらであったが、次回から暗記するように言われる。
②発表後4人の先輩ボランティアから厳しい指導を受ける。「この作品は・・・」→「あなたの持ち物じゃないのだから「この」は失礼。「こちらの作品」と言いなさい。「彼は(→作家)」「『彼は』は作家に対して敬意が感じられない、と中々手厳しい。
③体制;先輩ボランティア6名、研修生4名。当初5名だったが、1回来ただけで一人やめた。
次回は4作品を10分程度で発表しなければならない。
 
 参考までに、前回発表した「神田日勝作『室内風景』」の小生が資料を基に作った解説シナリオ。発表後かなり指摘を受けた。

こちらの作品は、神田日勝の『室内風景』です。1970年に制作されました。

部屋中に張り巡らされた新聞紙は寒い隙間風を防ぐためのものです。中央には少しうつろな表情の男性が座っています。

作者は絵を対象の細部まで克明に描く表現方法を追求しました。

この作品でも新聞の記事や広告がかなり詳しく書いてあり、新聞紙の折れ目やしわの様子も克明に描かれています。しかし、一方で、床に置かれた灰皿やマッチ箱などには影が書かれていません。そのため浮いているようにも見えます。また、曲がった物差しや時計などもちょっと不自然です。これらのちょっとしたトリックが不思議な、あるいはちょっと不安な気持ちを感じさせます。この混沌とした室内風景は、高度成長時代に北海道の田舎町で過疎化が進み始めたころの作者の不安な気持ちが投影されているとも言えます。

東京生まれの神田日勝は、7歳の時の終戦前日に十勝管内鹿追町に家族とともに入植し、地元中学校を卒業して農業を継いだ人物です。農業の傍ら油絵の制作を行い、農耕馬を描いた作品で展覧会に入賞しています。こちらの作品は、32歳と若くして病死した亡くなった神田日勝、最後の完成作品です。

 

ボランティアはじめました。Ⅱ

 前回のジャズフェスティバルに続き美術館のボランティアの報告。シニアボランティアを考えている方は参考に。ただし、研修生なので研修報告なのです

 美術館ボランティアは、多くの日本の美術館に存在しているそうだ(ボランティア研修1回目の講習で聞いた)。全国で8,000人余りいる。多くのボランティアは協力会などの名前で美術館の外の組織になっている。私が申し込んだ道立近代美術館の場合は、一般社団法人となっている。

 こちらのボランティアは5つの部門に分かれており、やりたかった解説部に所属することになった。(解説部;美術館所有の作品を用いた企画展の作品解説を行う)

第1回の研修では北大名誉教授で教育学博士の講義を聞いた。今日はそのまとめ

1.ボランティアとは

いくつかの定義を紹介

(1)語源は、英語のWillと同じラテン語のVolo「意図する」「決定する」という言葉から派生したVoluntasの言う名詞に(意図、自発、決定)に、人称名詞のerをつけて出来上がった言葉

(2)自発的に、公益的な仕事を報酬を目的としないでサービスする人をボランティアと呼び、その行為をボランティア活動と要約できる。(辻功・岸本幸次郎編「社会学の方法」

(3)なによりも他から命令や強制されてではなく、自ら進んで、自分の持てる力を他者や社会のために役立てていく活動である(讃岐幸治「ボランティア・ラーニング」)

(4)ボランティア活動そのものが自己開発、自己実現につながる生涯教育となる・・・・他(生涯学習審議会答申1992年)

2.美術館のボランティア

(1)美術館(博物館)は動物園、植物園等と同じく社会教育施設である

(2)ボランティアの役割は、「展示資料の解説、会場整理への協力など、学芸員への協力」であるが、来館者の学習を援助しながら、自分も学習することに喜びや生きがいを感じる取り組みである。

3.課題

(1)完全無償か?交通費の支給、弁当の支給はあり?あるいは有償だとボランティアではないのか?

(2)定年延長の定着により、美術館ボランティアの高齢化が進んできた。辞め時がわからない、やめさせられない等の高齢化問題

 この講義で一番びっくりしたのは、動物園とか博物館が教育施設であったこと。てっきり娯楽施設だと思っていた。

 私が所属した解説部の研修については次回報告です。

 

 

 

 

ワールドカップ女子(AUNZ)Ⅲ なでしこベスト8敗退

 残念ながらベスト8で敗退。ここで勝ち残ってくれたらあと2試合、日本代表の試合を楽しめたのにと思うとやはり残念。少なくとも今回のチームはそれなりに力量があるので、応援するにしてもイライラすることは少ない。この試合の得点につながったシーンで見せた遠藤のトラップなんかは最高でしたね。ボールが止まった瞬間ゴールのにおいがしたくらいだった。

 専門的評価はネットにお任せするとして、ゲーム内容の感想はスウェーデンにツキがあった。1点目のゴール前でのごちゃごちゃはその典型。本当にどちらのボールになるかなんかは誰のせいでもない。植木のPK、藤野のFKも時の運でしょ。男子が昨年のワールドカップでドイツに勝った試合は逆に日本がついていた。

 今回は、FIFA⁺のストリーミングサービスで、日本以外の試合を楽しんでいる。NHKの中継はもうないので(決勝戦はやるかもしれない)残り試合は、こちらで楽しむことにしよう。