footera1953’s diary

本、旅テーマは色々ある。まだ、方向性は固まっていない。

ボランティアはじめました。Ⅲ

 前回に引き続き、美術館のボランティア研修報告である。ボランティア活動は近代美術館の協力会(一般社団法人)がやっており、研修終了後は協力会の会員になる。
 私が所属した解説員は、美術館が所有する美術品を使用して定期的に開催する企画展(たとえば「北海道の日本画の歴史」みたいな)で、展示する美術品の解説を行う。担当の曜日が決められ、希望する来館者に30分程度の解説を行うことになる。
 以下はその解説員になるための研修事情である。
1.研修回数
 研修期間6か月、共通研修(解説部以外にも6部門ある)5回、解説部専門研修26回(半年間ほぼ毎週ある)。一コマ2時間。80%以上の出席必須
2.研修内容
①毎回2~4作品の解説の課題を与えられ、シナリオを作成して次回発表する。1回目の発表はシナリオを読みながらであったが、次回から暗記するように言われる。
②発表後4人の先輩ボランティアから厳しい指導を受ける。「この作品は・・・」→「あなたの持ち物じゃないのだから「この」は失礼。「こちらの作品」と言いなさい。「彼は(→作家)」「『彼は』は作家に対して敬意が感じられない、と中々手厳しい。
③体制;先輩ボランティア6名、研修生4名。当初5名だったが、1回来ただけで一人やめた。
次回は4作品を10分程度で発表しなければならない。
 
 参考までに、前回発表した「神田日勝作『室内風景』」の小生が資料を基に作った解説シナリオ。発表後かなり指摘を受けた。

こちらの作品は、神田日勝の『室内風景』です。1970年に制作されました。

部屋中に張り巡らされた新聞紙は寒い隙間風を防ぐためのものです。中央には少しうつろな表情の男性が座っています。

作者は絵を対象の細部まで克明に描く表現方法を追求しました。

この作品でも新聞の記事や広告がかなり詳しく書いてあり、新聞紙の折れ目やしわの様子も克明に描かれています。しかし、一方で、床に置かれた灰皿やマッチ箱などには影が書かれていません。そのため浮いているようにも見えます。また、曲がった物差しや時計などもちょっと不自然です。これらのちょっとしたトリックが不思議な、あるいはちょっと不安な気持ちを感じさせます。この混沌とした室内風景は、高度成長時代に北海道の田舎町で過疎化が進み始めたころの作者の不安な気持ちが投影されているとも言えます。

東京生まれの神田日勝は、7歳の時の終戦前日に十勝管内鹿追町に家族とともに入植し、地元中学校を卒業して農業を継いだ人物です。農業の傍ら油絵の制作を行い、農耕馬を描いた作品で展覧会に入賞しています。こちらの作品は、32歳と若くして病死した亡くなった神田日勝、最後の完成作品です。